ときどきの記

ここには,気まぐれに書くよしなし事を載せていきます。

2012年

7月

21日

初めて,この曲の魅力がわかった気がする ―片山幽雪『西行櫻』(2012.07.21)―

以下,今日の観能の印象記です。長いです。しかも,用語の使い方に誤りがある可能性があります。あらかじめご寛恕を。

 

 

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今日観た『西行櫻』,さっきもちょっと書いたように,アイ(この曲は狂言口開なので,かなり重要な役どころ)がまったくさっぱりで,なかなかの手練を揃えた笛(藤田六郎兵衛)・小鼓(曽和博朗)・大鼓(山本 孝)の次第の囃子で出てきたワキツレ(花見の衆)のとりわけ先頭のハコビがぺったぺった歩いてくる感じで趣もへったくれもなくて,冒頭から愕然としたのだが,初同(最初の地謡の謡い出し)から急によくなった。

 

 

特に,シテ(片山幽雪)のサシ謡からいっぺんに『西行櫻』の舞台になった。

 

じつはこの曲,私にとってはどちらかというと“苦手”な曲。睡魔に襲われたことも1度や2度ではない。前回にこのシテで観たときも,危うく睡魔に負けそうになった。今までで,まったく睡魔に襲われなかったのは櫻間金記のときくらい。ただ,詞章はすごく佳い。ほんとうに名曲であると思う。

 

しかも,今日のおシテ,最近ちょっと“衰え”がみえてきたというようなことも耳にしていたので,なおのこと心配だったのだけれども,とんでもなかった。

 

謡は抑えめで,人によっては聴き取りづらいところもあったかもしれないが,私にはすごくクリアに聴こえた。出立は皺尉の面に黒の風折烏帽子,丸に竪の引両紋散らしの樺色狩衣,薄浅葱大口。少し面がクモッているかなという気はしたが,それ以外はすばらしい。「さて櫻のとがは何やらん」とワキに詰め寄る言葉の力やら,「浮世と見るも山と見るも。ただその人の心にあり」とワキに向かうちょっとした所作やらが,すごく端正でしかも匂い立つような趣がある。あるいは,「恥ずかしや老木の」と作リ物を出て,ちょっと佇立した姿の美しさやら,「草木国土皆成仏の御法なるべし」と通常なら下居してワキと向き合って合掌するところ,立ったままワキに向かって合掌する姿も自然なのに確りと決まっている。クセでの所作の連続も,動きは少なめ控えめだし,ハコビに老いを感じたのも事実ではあるけれども,ノリよく謡い進んだ地謡と相俟って,何とも華やか。序之舞前のシテの「あら名残惜しの夜遊やな。惜しむべし惜しむべし。得難きは時,逢い難きは友なるべし。春宵一刻値千金。花に清香月に影。」での軽みと底強さの絶妙な謡。

 

序之舞は序を三つ。その直後に進む方向を間違えて後見が正したのが唯一の瑕瑾で,杖を持っての舞。足拍子は踏まずにすべてシヅミ(膝を曲げて,腰を沈める型)。袖も返さなかった。しかしまぁ,その姿の美しさといったら。表層的に綺麗というんじゃなくて,老いて衰えはあるにもかかわらず,なお残った美しさとでもいうべきか。しかも,弱々しさはなくて,勁さがしっかりとある。それがあるから,二段のオロシ(だと思う)でタジタジと退って常座で佇む姿が美しく決まる。今日の序之舞の囃子は,初段が終わったあと,けっこうテンポよく囃していった。どうしても,序之舞というのはゆったりと囃されることが多いし,『西行櫻』の場合は特にそうだと思う。ただ,曲趣を考えれば,華やかさ軽やかさは忘れられてはいけないようにも思う。だとするならば,今日のようなノリのよさはむしろこの曲にあっているようにも感じられた。

 

舞い上げて,地謡のすばらしい「鐘をも待たぬ別れこそあれ」という一句があって,繰り返しの「別れこそあれ別れこそあれ」でシテは常座から角トリ,大小前からそのまま橋掛かりへ。そして,謡本ではシテ謡となっている「待て暫し待て暫し。夜はまだ深きぞ」をワキが招キ扇して一ノ松まで進んだシテを呼び戻す型。これ,私は初めて見た。なかなか効果的な替の型だと思う。そして,常座で右ウケて「白むは花の影なりけり」と左袖を巻き上げて下居して枕ノ型。シテ謡「夢は覚めにけり」と立って,地謡が引き取ってシテは胸杖して「嵐も雪も散り敷くや」と拍子を一つ踏んで小回りし,常座で杖を捨て,作り物に再び入って下居。老櫻の幹に再び消えた態。そしてワキは立って常座まで進んで脇正面方向を眺めやる。ちょうど今まで見えていた老櫻の精が消えて,それを追いかけるような感じ。そしてワキが拍子二つ踏んでトメ。ちょうど1時間20分。シテの登場以降,まったく長さを感じさせなかった。

 

初めて,『西行櫻』が名曲だと実感できた1日だった。囃子も佳かった。地謡も佳かった。後見も(主後見がいちばん最初に眼鏡をかけて出てきたのは,あまり例のないことでびっくりしたが),引き回しをおろす時にちょっと引っかかったりはしたけど,心得た感じで好感。あとがよろしくなかったのは残念だったけど,それを差し引いても佳い舞台だった。

 

今年下半期の観能初が佳い舞台で満足であります。

2012年

1月

03日

新春嘉例の初能 ―大槻能楽堂新春公演(2012.01.03)―

ここ数年来、ほぼ毎年かならず行くのが、大槻能楽堂の新春公演。2日連続あって、連日行くこともあれば、今年のように1日だけということも。『翁』のあとに振る舞い酒もあって、毎年の嘉例行事になっている。

 

大槻能楽堂新春公演

『翁 十二月往来』梅若玄祥・大槻文蔵、浦田保親、茂山千三郎

『鎧』茂山千五郎、茂山正邦、松本 薫

『花筐 筐之伝』山本順之、山本博通、福王茂十郎、福王和幸、福王知登、喜多雅人

 

 

『翁 十二月往来』は初見。謡本をみると、翁が二人出て、十二ヶ月の縁起物を謡い、翁之舞を相舞するというもの。体格的に対照的としか言いようのない二人であるが、それは別に大して気にならず(全く気にならないわけでもなかったがw)、まず千歳(浦田保親)が舞い上げて目付柱のところに平伏し、翁の面をつけた二人が大小前に並び立ったとき、千歳が笛座前に、三番三(茂山千三郎)が常座に進んで、四人が並び立った。仏像の脇侍とまでは言い過ぎかもしれないが、ただ、その舞の直前まで並び立っていた姿は、神聖さもあって佳かった。相舞は、ところどころずれるところもあったけど、まずまず息は揃ってたかな。それより、玄祥さんが「霜月の」と謡い出す前に絶句しかけたのが、ちょっとびっくり。まぁめったに出ないからしかたないのかも。瑕瑾になるほど間が空いたわけでもなかったから、それほど気にはならず。千歳、三番三はそれぞれに気合が充ちていて、正月らしくて満足。こういうのは上手いとか下手とかいうのではなしに、全身に気合が充ち満ちている(もちろん、それを表現するための技術が備わっているのは当然の前提だけれども)かどうかが大事だと思う。

 

『鎧』も初見。『末広かり』と筋は似ているが、太郎冠者に買い物を頼む人間が、買ってきてもらうものをわかっているのかいないのかが違い。それと、鎧に関する太郎冠者の語リが聴き処。最後のオチも「しょーもない」といえば、それまでだが、おもしろい。

 

そして、眼目の『花筐』。

昨年、成果の多かった順之さんの舞台なので、期待度は高い。ただ、今まで『花筐』という曲をおもしろいと感じたことが、私はなかった。近藤乾之助さんの舞台を観たときも、残念ながらそうだった(2006年10月)。

 

今回は舞台を観るにあたって、もうちょっとていねいに詞章を読んでみたのだが、けっこうおもしろくできている。

 

ただ、推測するに、どうもやることが多くてごちゃごちゃして、観るほうからすると、クセのあたりになると疲れて睡魔に負けてしまうのではないか。逆に言うと、演者からすれば「おもしろい」が、よほど曲として一貫したものを描き出さないと、観るほうは「おもしろくない」ということになってしまいそうな。ちょっと言い過ぎたかな(^_^;)

 

さて、今日の『花筐』、これが年始早々の収穫。

前段、前ワキツレ(福王和幸:使者)に呼ばれて出た姿の安定感からして、期待度はなお高まる。ワキツレから文と花筐(花籠)を受け取ったシテは、常座に下居し、花筐を前に置いて文を読む。ちょっと「?」というところもあったけれども、声は朗々として、下居の姿も抜群。読み終えて、「書き置き給ふ水茎の跡に残るぞ悲しき」と文を少し下におろして、そのあと文をじっと見るように面を下向けるあたりの姿の佳さ。そのあと、中入前に文と花筐を持って立ち、「御花筐玉章を抱きて」と花筐を身に添えるように抱く姿も、可憐ささえただよって趣深い。

 

後段、華やかな狂女越(だと思う。知識不足で不確かです。ごめんなさい)の一声の囃子でツレ(山本博通:侍女)を先立てて、後シテの出。この日は小書が付いているからか、白水衣に緑地に花筏を裾にあしらった腰巻(花と裏地が紅)の出立。面は前段同様、若女だと思うのだが、ちょっと目じりが下がった不思議な感じ。遊女っぽさというのか、ちょっと蠱惑的な感じもありつつ、かといって下品ではなく、白水衣という装束との取り合わせもあってか、聖性さえ感じさせるような。謡も(謀りとはいえ)狂女らしく、しっかりと気を込めた謡いぶり。

 

今日はシテとツレとの息もよくあっていたように思う。シテとツレとの掛合で、ツレが「あれ御覧候へ雁がねの渡り候」と橋掛かりで二人並び、ツレが上方を眺めやるようにして、シテもそれに付き合う姿は、なかなか空間性が感じられて趣があった。

 

そのあと、シテツレ連吟の一セイで舞台へ。カケリも定型どおりながら、技術・気合ともに充実、地「飛び立つばかりの」と目付柱上方を見やる姿、「及ばぬ恋に浮船の」と一足ツメル姿、そして上歌となって型の続く一連、いずれも連綿と展開されて、“おもしろい”。言ってみれば、ここがこの曲の第2の見せ場。

 

ここでワキに花筐を打ち落とされる場面となるのだが、ツレの「あら悲しや」以下の謡と、筐を拾ってシテに渡す型がしっかりしていたので、物語(=曲)がだれなかったように思う。意外に、ここも重要なのかも。ここがちゃんとできていないと、このあとに続くクルイ(筐之段)が活きてこなくなるのかもしれない。

 

次の見どころ、「恐ろしや」以下の一連。小書があるので、「恐ろしや」の一句目のあとに大返という囃子の替が入って、シテは大小前を小さく廻り、返句「恐ろしや」へと。ここまでが物語として一貫して展開されてきているので、この大返が利いたように思う。ここから先は見入ってしまったので、あまり所作をメモしていないが、小書もあってか、少し通常とは異なっていたようにも見えた。ただ、続々と展開される型が連綿として、結果としてシテの心情を描き出していたことは確かだと思う。もうこまごまとは書かないが、クセもまた同様の充実。クセの型については三宅 襄『能の鑑賞講座 一』に詳しいので、興味がある方はそちらをご覧くださいませ(^_^;) ただ、「夜更け 人静まり。風すさましく。月秋なるにそれかと思ふ面影の。あるか なきかにかげろへば」での面の遣い方や身体の詰め方などは殊に趣深かった。これも『東北』や『姨捨』で見せてくれた、鍛えあげられた身体のなせる業なのだろう。

 

キリ。ワキからの宣旨をうけて、最初ワキにアシラッていたのを、「直なる御代に」とワキから少しはずして、子方(武富晶太郎:王=継体天皇)にアシラッたのもこまかいかもしれないけれども、ていねいで佳い。キリは晴れやかに大きく。子方やワキ、ツレを見送ったあと、それに続いて三ノ松まで進み、小回りやユウケンしてトメ。

 

 

以上、正直なところ、全部の型やら謡のポイントやらを把捉しようと思っても、とうてい私には不可能。ただ、それくらい、いろいろとあることくらいはわかる。それらが『花筐』という一曲にまとめ上げられるかどうかが難しいのかもしれない。

 

今日は、初めて能としての『花筐』を観ることができた気がする。

年始早々、縁起がいいね。

2012年

1月

02日

あけましておめでとうございます。

2012年(平成24年)、新年あけましておめでとう存じます。

震災、原発事故、タイの水害とうちつづいた昨年もようやく明け、今年が佳い一年でありますことを、謹んで祈っております。と同時に、他人事として祈るばかりでなく、一個人として、どう行為すべきか考えながら、日々を過ごしていきたいと思います。

 

さて。

ここ数年、今年の抱負というものをあまり考えずに新年を迎えております。というのも、変に大上段に振りかぶってしまうよりは、日々をしっかりと過ごすということが「抱負」になってきたからです。

 

なので、別段ここに「今年は、こんなことするぞ!!」というようなことは書きません(笑)

ただ、いくつか方向性くらいは思いめぐらしておこうという次第でw

 

 

研究に関しては、ちょっとずつ方向性も固まりつつあるので、とりあえず先にやっておきたい学説研究を着実に積み重ねていきたいな、と。ついに昨年、“禁を破って(?)”ドイツ語圏以外の経営学説にも手を出したので(笑)、これからはあまり気にせずにやってみようかとも思ってます。

 

本職(教員)に関しては、これまでどおりといえばそれまでですが、ようやくメイン担当科目の内容が着任3年目にして固まってきたので、今後は新ネタ(=事例)の入れ替えを中心にして、やっていこうかなと考えています。

 

ゼミに関しては、まず卒論の仮提出分を読まないと(/_;) これを新年松の内までに終わらせて、それ以降は第3期の卒論計画と、第4期のスタートアップに注力する予定。

 

第2期の卒論指導、「うまくいったかな」というケースと、「指導不足かな」というケースとに二分された印象が…。第3期に関しては、後者をなくせるようにやっていかないと。それにしても、「引用」「参照」「自説」という3区分の徹底だけは、しっかりできるようになってもらおうと思います。

 

今年の4月で近大に移って4年目。そろそろペースもつかめつつあるように思うので、教育と研究とバランスよくやっていこうと思います。

 

 

能のほうは、さて、今年はどうだろう。できるだけ観たいと思いつつ、でもすでに観れないことがはっきりしているものも。ただ、昨年に比べて、「これは絶対に観る!!」という舞台が今のところ多くないのも気にかかる…。数が少なくても、2011年のように収穫が多ければ問題はないわけですが。

 

 

 

ということで、本年も各方面の方々にいろいろとお世話になることと思います。

昨年同様、あるいはそれ以上にどうぞご厚誼を賜りますよう、お願い申し上げます。

2011年

12月

31日

歳末雑感。

いよいよ今年も残りわずか。今年もほんとうにお世話になりました。

どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

今年は、ほんとうに大変な年でした。何より東日本大震災。阪神大震災のときもたいへんではありましたが、今回の場合は、大津波や原発事故など、今までにない(隠れていた)問題が浮かび上がってきた点で、いろいろと考えさせられることが多かったです。

 

 

個人的には、ひじょうに忙しいながらも充実はしていた一年でした。今の大学に移って初めての卒業生を送り出し、同時に第3期も早々と始動。ぶじ(すぎるくらい、ぶじ)に動いてくれてると思います。これから就活で大変だろうと思うけれども、しっかりと(^^)b そして、そうこうしているうちに秋には第4期メンバーも決まりました。本格始動は来年からだけれども、研究も遊びも第3期を超えるくらいに一生懸命にやっていってほしいなと。

 

 

研究面では、とりあえず活字になったものが1本と、年明けに活字になるものが1本。学会報告と部会報告それぞれ1本ずつ。出来はともあれ、まぁ久しぶりに“研究者”らしいことはできたかも(笑) 単著を出して、来年1月でもう5年。そろそろ次に向けて、ちゃんとかたちにしていかないと。

 

ただまぁ、年末にできあがった経営学史学会叢書の『バーナード』、はじめてドイツ経営学以外で論文を書いたので、不安は不安(^_^;)

 

 

能のほうは、さすがにいろいろ忙しくなってきて、あまりたくさんは観れませんでした。今年は、やはり山本順之さんの舞台2つ(2月27日『東北』、10月22日『姨捨』)がことさら印象的でした。他にも、塩津哲生『野宮』(8月21日)、同『鸚鵡小町』(10月1日)、近藤乾之助『高野物狂』(10月9日)、片山幽雪『摂待』(11月4日)あたりが特に印象深かった舞台。12月の喜多流職分会での佐々木多門『六浦』と塩津哲生『唐船』(12月18日)も、佳かった。特に佐々木多門『六浦』は老巧が醸し出すような強烈な情趣というものは、さすがにまだまだ滲み出てはいなかったけれども、規矩の正しい謡や型の一連が、ブツブツと途切れ途切れになるのではなく、連綿と展開されて、さっぱりとした爽やかな舞台でした。それと、舞囃子では10月1日の塩津哲生の会での野村四郎『養老 水波之伝』が絶品。盤石の腰を軸とした、身体の隅々まで気の徹った舞に圧倒されました。

 

今年は、あまり「はずれ」がなかったという点で、よかったかも。

12月の印象記は、年明けの時間があるときに書きたいと思ってます。

 


今年は、本格的にFacebookを使うようになって、想像以上にソーシャルな(=人と人との)ネットワーク(=つながり)ができたように思います。じゅうぶんに活用できているとは言い難いのですが、来年もぼちぼちと使っていきたいなと。

 


長々と書きましたが、ほんとうに今年一年、ありがとうございました。
来年も、今年と変わらず、あるいは今年以上に、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年

10月

27日

峻厳で,人間的。 ―山本順之『姨捨』(2011.10.22)―

山本順之『姨 捨』(2011.10.22:山本順之の會 特別公演,宝生能楽堂)
 シテ:山本順之   ワキ:宝生 閑   ワキツレ:宝生欣哉,大日方 寛

 アイ:野村万作
 笛 :一噌仙幸   小鼓:大倉源次郎   大鼓:柿原崇志
 地頭:観世銕之丞  地謡:淺見眞州,淺井文義,清水寛二ほか4名

 

 今年2月に福岡・大濠公園能楽堂で閑散とした見所のなか,目の醒めるような『東北』を舞った山本順之が,以前に10回連続で開催していた自分の会の「特別公演」と銘打って舞台にかける『姨捨』。期待するなというほうが無理な話である。

 

 私は,山本順之という人の舞台をそう多く観てはいない。しかし,その割にというべきか,この人の出身が大阪の山本家だからということもあって,大阪での舞台を2004年前後にいくつか観ている。大槻能楽堂での『隅田川』,これはなぜか記憶に薄い。むしろ,本拠地である山本能楽堂での『藤戸』の前場が印象に強い。それからしばらく観る機会がなかった。大槻での『夕顔』など観たくはあったけれども,京都での片山慶次郎の舞台と重なって,行くことを得なかったりなど,そういうケースも多かった。そういうなかで,近年とみに成果が挙がっているということを聞き,大濠まで出かけたところ,瞠目の成果だった。
 
 この日もすばらしい舞台だった。私は観世流の『姨捨』をあまり観ていない。むしろ宝生流で観た数のほうが多いかもしれない。なかでも,近藤乾之助(2006.11.26)と今井泰男(2008.04.06)の2つがことさら印象に残っている。宝生の場合,後シテの出に休息があって,一ノ松で左手を指して月光を受けるような型がある。そのかわり,序ノ舞での休息はない。個人的には,こちらのほうが好きだ。観世の「弄月ノ型」というのが,どうもわざとらしく感じられて好きになれない。しかし,この日の山本順之の舞台は,そんな私の浅薄な考え方を根底から改めさせてくれるものであった。

 

 仙幸の習ノ次第(ヒシギも音こそ擦れかけたが,息が強くてむしろ趣があった)があって,ワキとワキツレの出。今さら言っても仕方がないと思うけれども,やはり閑の謡はすばらしい。ワキの「心空なる折からかな」と幕が静かに上がって,しばらくの間があり,ワキの詞の終わりにシテの呼掛ケ。低く,しかも透明感のある謡。シテとワキとの問答のあいだ,「殊に照り添ふ天の原」と三ノ松で正に向き,「隈なき四方の景色かな」とワキを見遣るように戻して,再び歩み出す。そして,「我が心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」とこの曲の主柱たる和歌に二ノ松で正に向き,さらに「これに木高き桂の木の」と幕の方向を向く。ワキのセリフで再び進み,一ノ松へ。この一ノ松で正に向いたときの,シテとワキとの空間取りがすばらしく佳い。今回の舞台の何よりの成功要因の一つである,順之の堅固盤石な腰の力と謡の力が導き出したものであろう。常座に進んで,「薄霧も立ち渡り」と右ウケて面をつかって見遣り,「淋しき山の景色かな」と正面に直して,クッと一足あまり退る姿の根を張った美しさといったら。


 シテとワキとの問答から地謡が「それと言はんも恥ずかしや」とわずかに面をクモラセル所作も,単に面を下に向けるというのではなくて,腰を軸にして,胸をグッと引くことで自然に面がクモル感じ。もちろん,胸を引くといっても背中が丸くなったりするような安易な動きではない。推測にすぎないが,よほど鍛えられていないと,これを自然にこなすことはきわめて困難だろう。


 中入前,「唯一人この山に住む」と常座から前に数足出て,目付あたりで直角に体をワキのほうへ向け,「執心の闇を晴らさんと」とワキに向かって一足詰めながら,ヨセイ(両腕を少し開くようにする所作)する型の,動きはわずかであるにもかかわらず,その迫力たるや。見所にいても,その内に籠めた凄みに気圧される感じがした。そして,中入。送リ笛のすばらしさ。


 間狂言は万作。今まで,和泉流での間狂言も何度か観てきたが,今回初めて,能の前場・間狂言・後場が一つの物語としてつながっていることを実感した。能という,明確に演出家が定まっていない演劇で,すべてを一貫した物語として描き出すのは,意外に難しいように思う。それが,今回,勁い一本の線でつながっていた。


 閑がリードするいつもながら秀逸な待謡があって,一声。観世流の場合,宝生流と違って何事もなく常座まで出る。この幕離レの姿態の佳さは絶品。別に何かしているわけではないのだが,その安定感と美しさは比類ない。ただ,常座に出て,一セイの謡で絶句したのが唯一の瑕瑾。すぐに後見の宗家・観世清和がつけて,「あまりに堪へぬ心とや」から戻った。ただ,凄かったのは,これで緊張の糸が切れるようなことがまったくなかったこと。シテ本人の心理状態はいざ知らず,見所はヒヤッとした人もいたに違いない。私もヒヤッとした。しかし,それが以降の舞台にまったく悪影響を及ぼさなかったというのは,シテと後見の力だろうと思う。


  『姨捨』の後シテをどう形象化するかは,シテの考え方によって大きく違ってくるであろう。今回の順之のそれは,ある意味で人間的,言い換えれば,まさに老女の霊だったように感じられた。後の初同(上歌)で「また姨捨の山の出でて」と目付あたりに進み止まって少し左上を見遣り,いったんワキにアシラッたあと,正面に直して左袖をあげて面を隠すようにする一連。これも腰がしっかり決まっているから,一つ一つの所作が動く彫刻とでもいうのか,驚くほどの厳しい美しさ。にもかかわらず,そこには何か人間的なものが流れていて,冷たい無機的な美しさというのともちょっと違う。この初同の一連,現れ出た老女の霊が月に照らされているかのような感があった。


 大小の打掛を聞いて,地謡がクリを謡いだす(この日の地謡,統一的というのとはちょっと違ったが,いろんな方向性ないし特性が,最終的に“統合”されているという感じ。地頭の熱感たっぷりの謡と,助吟の知性的な感じの謡とが妙にマッチしていた)。シテの澄明感に満ちた謡,サシの「超世の悲願普き影」と扇を開いて,「彌陀光明に如くはなし」とユウケン。基本形といえば基本形なのだろうが,こういった一つ一つがきわめて丁寧で,しかも大きい。このユウケンで,クセで展開される極楽世界への扉が開かれたように感じられた。

 

 このクセから太鼓序ノ舞,そしてトメに到るまで,まさに“クライマックス”ということばがぴったりくる一連。クセで「無上の力を得る故に」と小さく左右したやわらかさ,豊かさのすばらしさ。その直後に大鼓がチョーンと大きく一つ打ったのが,これに相俟ってなお印象に強く残る。上端前の「蓮 色々に咲きまじる」と大小前からわずかに下向きに面を左右に遣って,光景を見廻すようにする一連,「寶の池の邊に。立つや行樹(なみき)の花散りて」と正中でヨセイして打込,扇を指して右に体を向ける一連など,まさに極楽世界が現出されるかのようだった。上端後のクセもすばらしく,「ある時は 影満ち」と目付あたりで佇立し,「又 ある時は 影 缺くる」と扇をそのまま縦にして上げ,胸を引くようにして面を少しクモラセつつ隠すようにする一連。これなど,腰を軸にした盤石の身体があって初めて,効果をあげうる型であるように思う。ただ立っている姿が,まさに皓々とした月に照らされているようであるということ,そして面を隠すことで陰影を感じさせるということ,おそらくそうそう簡単なことではないに違いない。盤石の身体がなければ,きわめていやらしく見えてしまうのではないかとさえ思う。

 

 序ノ舞は序を五つ(今回は,序の数がちゃんとわかった)踏んで,カカリの段。カカリの段が終わるときに大小前で扇を指したまま立っている姿さえ美しい。初段以降,拍子は踏まずに身を沈める型。見処の「弄月之型」は,私にとっては初めて見た型だった。初段から二段に変わるところで開いた扇を左手に持ち替え,つくづくと見込む。すると,ギクッと突如よろめくかのように一足。不意によろけたのではなく,これも型(以前の大槻文蔵『関寺小町』でも同じような足づかいがあった。そのときは一足ではなく数足だった気がする)。瞠目というよりほかない。老女の霊がハッと我に返らされるというのか,興じて舞っていたのが俗世のころの現実に気づかされたというのか,ある意味“残酷”な一瞬であったように感じられた。

 

 だから,そのあとに続く「弄月之型」が,月光の美しさに見惚れるとかいったようなものではなく,むしろ月に照らされて自らの来し方にあらためて想いを致しているかのような,そういうふうに私には映った。常座に下居して扇をあらためて見込んで,そのあと面は少し右上方向(脇正面方向)に照ラスかという程度で,通常のように空を見上げるというような所作ではない。これが,先ほど述べたような「皓々とした月に照らされている」という印象の最も強烈な場面。下居している姿の堅固さ美しさに支えられた,“凝然”たる老女の姿だった。そして,立ち上がって,再び序ノ舞へ。老女の序ノ舞の位取りというのは,本来こういうものなのかな,と,わからないなりにも感じられた。今回の序ノ舞,むしろしっかりと引き締まりつつも,ノリはあったのではないか。ゆっくりゆっくりと舞えば老女の位になる,というわけではないことを実感させられた気がする。

 

 舞上げて,キリも圧巻。「胡蝶の遊び」と目付に進み,左袖を被いた。それまで,袖をつかうということがなかった分,印象鮮烈。一巡して常座あたりで「今宵の秋風」と幕方向を見込む姿も,女々しさやなよなよしさがまったくない。「夜も既に白々と」と大小前で左上方(ワキ柱のほう)を見遣る姿も秀逸で,地謡と相俟って,老女の霊が朝の光に消え消えとなっていくかのような趣。それに応じて,ワキ・ワキツレは立って幕へ。この一瞬も何とも言えず佳かった。そして,ここであしらわれた笛の音。私の能力では,この場面を言語化できない。

 

 そして,シテの透徹感のある謡「獨り 捨てられて老女が」と,立ったまま体を右に向け,少しだけクモラセる。ここでシオリをしなかったのが,すごく効いていたように思う。順之さんの『姨捨』という曲に対する理解がここらあたりにもあらわれていたのではないか。シテ謡をうけて地謡が引き取り,「姨捨山とぞなりにける」とシテは少し体を右に向けつつ,両袖を体の前で合わせるようにして下居。この姿,まるで姨捨山の朝の景を見せられているような感があった。感傷的で恐縮だが,老女が養い育てた息子にたばかられて仏と思って拝んだ石が山の木々のあいだから差し込む朝日に照らされて,そこにあるかのような趣。そして,謡が終わり,囃子がいくらかあってシテは立ち,常座でトメ。

 

 

 時間は2時間10分ちょっと。今までに観た『姨捨』ではもっと長かったこともある。ただ,観終わった後の充実感は半端ない。これまで観たなかでもっとも印象的だった近藤乾之助の『姨捨』のときは,“孤独”が老女の姿を借りて形象化されたかのような趣であったが,今回の山本順之のそれは“峻厳”“崇高”という趣が強かった。その一方で,底に流れている人間的なもの,あるいはこの『姨捨』という曲がもっているドラマ性というのか,そういったものも同時に強く感じられた。こんなに凄い『姨捨』は,これから先,そうめったに見られるものではないと思う。

 

 2011年10月は,近藤乾之助『高野物狂』といい,山本順之『姨捨』といい,近来にない充実した観能月間になった。

2011年

10月

25日

この役者の進化は,いったいどこまで続くのか―近藤乾之助『高野物狂』(2011.10.08)―

近藤乾之助『高野物狂』(2011.10.09:宝生会月並能,宝生能楽堂) 

シテ:近藤乾之助  子方:水上 達  ワキ:宝生 閑  アイ:大蔵教義 

笛:藤田朝太郎  小鼓:曽和正博  大鼓:亀井 実

地頭:亀井保雄  地謡:田崎隆三,小倉敏克,佐野由於ほか4名

 

 病のため,しばらく休養を余儀なくされていた乾之助さん(ちなみに83歳)の久しぶりの能。夏ごろから仕舞や一調などで舞台復帰はされていたものの(私は観る機会を得なかった),本格的な能は今回が病後初めて。正直なところ,不安のほうが大きかったのだが,予想以上のすばらしい舞台で,観能後の第一印象というか第一感想は「この人,すげぇ」。

 

 段熨斗目に素袍の長袴に掛絡を着けて,前シテの出。前場,声こそまず出ていたものの,やや不安定に震えもあったように思う。それでも,文ノ段での緩急強弱とか,「必ず 必ず」の間に少し心持を含めるあたりなど,鍛えられたコトバの遣いようがすごい。ちょっと,ハシッたような感じもしなくもなかったけど…。また,文ノ段の最後の和歌で数句すっ飛ばしてしまうなど,失錯もあった。とはいえ,前場中入前「今は散り行く」と立ち,「花守の頼む木陰も嵐吹く」にて幕方向を見遣りながら大鼓前へ進み,ゆったりと体を正面に向けるように体を使いながら辺りを見回し,常座で正を向いて「行くへはいづく雲水の」,さらに前場のキリで「知らぬ道にぞ出でにける」と橋掛カリ向いて中入する一連は,いつもながら空間把捉の見事さ。同じように型をやっても,なかなか他の人では,こうはいかない。乾之助さんの場合,腰がしっかり定まっているというのはもちろんなのだが,それとともに上半身の締まり具合が半端ではない。当然,がっちがちに固まっているというのではなくて,後でも触れるが,一つ一つの型の扱いはけっこうやわらかいのに,その軸というのか,内側で支える筋肉というのか,そういったものがしっかりとしているというのを感じることがある。

 

 さて,華やかめに囃す次第で子方を先立てて,ワキの出。変に位取りするような僧ワキではないので,さらりめの次第謡。それが一級品であるのが凄い。そのあと一声の囃子で後シテの出。一ノ松でヨセイして一セイの謡。物狂の態であるがゆえに,少しカカッて。囃子の音に少しかき消されたのか,ややところどころで一セイ謡がおぼろげで聞き取りにくいところもあったが,徐々にペースを取り戻し,カケリからは気魄も充実。声量も直面ということももちろんあるが,いつもよりも張った感じに聴こえた。

 

 カケリの後の「誘はれし。花の行くへを尋ねつゝ」の謡も,重くれずかつ狂うた感じで趣にぴったり。「風狂じたる」で踏んだ拍子も力強い(もちろん,大音響というのではない)。何より,後場の最初に印象的だったのは,続く「肌身に添ふる此文を」と文をつけた笹(右手に持つ)を体にそっと寄せ,左手を添える所作。中世日本を知るうえで,主従関係が時として“男色”としての性質を持つことは,見落とせない点である。稚児信仰や美少年への執心は,当時としてはふつうに採りあげられうる素材である。ここでの所作は高師四郎と平松春満の関係性を象徴するに,すごくぴったりだった。

 

  • 現代的な意味でのゲイやら同性愛とは,おそらく意味合いが大きく異なるだろう。現代のゲイやら同性愛の世界を知らない(し,別に知りたくない)ので,想像でしかないが。

 

 以下,高野への道中の一連も所作もしっかり決まり,物狂の遊興性と高野山という聖地性が相俟って,「三鈷の松の下に立ち寄りて休まん」と目付に据えられた松の作リ物の前で笹を落とし,安座するまでの充実。それをワキに見咎められて,「げによく御覧ぜられて候。これは放下にて候」と面は下を向いたままゆっくりと目はあわさずにワキにアシライ,さらに咎められて逃れるように,笹を持って立ち常座に行く一連,そこから続くワキとの問答も緊迫して見応え聴き応え十分。下居してのクリ・サシからクセとなって「然れば即身成仏の相をあらはし」と立って,「深山鴉の声さびて」と面を左右に使いながら,正中辺りで右足を少し引き,体を半身にして「飛花落葉の嵐風まで」と下を見遣るようにする所作も,今さらながらやはり空間把捉の巧さ凄さ。さらに進んで「谷峯の風常楽の夢さめ」と正中から正先辺りで開いた扇を指スように出した姿も佳い。そして,呼吸が途切れずに中ノ舞へ。さらさらと舞いながら,遊興と法悦が入り交じったようなおもしろさ。舞アトもすばらしく「花壇場月傳法院」以下の充実はもう絶佳。上ゲ扇やその他,基本所作の組み合わせとはいえ,それが一つのつながりになることで,情景を鮮やかに描き出すというのが,やはり能のおもしろさであり,それを抑制された所作によって鮮烈に現出できるのが,近藤乾之助という役者の魅力の所以の一つだろうと思う。

 

 キリで子方の声を聴き,「不思議やな」と気づいて,ちょっと急くように声をかけ,さらに正中まで駆け寄って下居,そしてシテ・ワキ・子方の掛合があって,「主君に逢ふぞ嬉しき」と居立って礼をなし,子方をすっと抱きかかえるような一瞬があって,子方を橋掛カリへ。そして常座で留拍子。  この曲は,以前にも華寶会で観たが,そのときよりも充実していたのではないかとさえ思った。身体は確実に老いつつある。しかし,今まで鍛え上げてきた蓄積と,老いをいかにしてカバーするのかという工夫とが相俟って,今回の舞台が生まれ出たのではないか。今回,囃子はあまり宜しきを得たとはいいがたい配役,地謡はここ最近のこの流儀に期待するほうが無理という状況ながら(私が,この流儀を観始めたころでさえ,もっと迫力や底力があったように思う),そして今回も決してすばらしいとはいえないけれども,シテを盛り立てるということに徹して,場面に応じた謡振りであったように思う。ちなみに,今日の後シテの水衣の色は,鈍い紺色であった。

 

 個人的に,『春栄』や『高野物狂』や『盛久』のような曲もけっこう好きなので,ついほろっときてしまうこともあるのだが,今回は“ほろっ”どころか“うるっ”となってしまった。やっぱり,この役者はすごい。

 

 

2011年

9月

04日

けいてつ

さきほど,札幌から帰ってきました。台風でどうなるかと思いましたが,何とかたどり着き,無事に帰って来れました。

 

行きしなも飛行機は10分遅れで済んだのですが,JR北海道でシステムダウンか何かで50分立往生。幸い座れてたからよかったですが,立っていたらきつかったかも…。

 

経営哲学学会の全国大会が北海学園大学でありました。自由論題で報告してきました。自分の感想としては,やはりもっと大胆に刈り込んだほうがよかったかな,と。そして,もっと踏み込むべきところを踏み込まないと,と。2日目の午後だったのと,ドイツ経営学という「ヤンバルクイナ」(→どなたかの先生がおっしゃっていたとか。「絶滅危惧種なので,絶滅させてはいけない」というニュアンスだそうでw)的な研究領域なので,お運びくださった方は多くはなかったですが,論客の先生方がおいでくださったので,緊張感は半端なかったです。

 

どうしても,「ご存知ない」ということを前提にして報告するので,学説の紹介に時間を食ってしまうのが問題点。それはそれで必要なこととも思いつつ,もうちょっと主張したいことを前面に押し出すのも必要なのかなと感じた次第です。

 

お運びくださり,質問やコメントをくださった先生方,心より御礼申し上げます。そして,司会を務めてくださった榊原研互先生,コメンテータを務めてくださった柴田 明先生,ほんとうにありがとうございます。

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2011年

8月

21日

久しぶりのかもん山 ―横浜能楽堂特別公演:塩津哲生『野宮』(2011.08.21)―

横浜能楽堂に来るのは何年ぶりだろうか。いろいろと面白そうな企画もあるのだが,そもそも遠距離なためにめったに足を運ぶことはない。ただ,今回は『野宮』という好きな曲でもあるし,基本的にはシテを勤める舞台はできるだけ観ておきたい役者の一人である塩津哲生さん(以降,ときどき敬称略)で,三役(ワキ方,囃子方,狂言方)も人を揃えているので,観にいくことに。

 

出だしすぐに囃子にミスがあって,ちょっと吃驚したが,あまり全体には影響しなかった(と思う)。笛(一噌仙幸)も力強くて(もちろん大音量ということではない)何より。特に,ところどころで入ってくるアシライ笛がすごく佳い。何がどうって言われると難しいし,その佳さの由来するところを説明するだけの知識が私にはないのだけれども,吹き出す間であるとか,あるいは勁さとか,そういったのが絶妙。今日の小鼓,いつもよりも音色がちょっとめった感じに聴こえたのは,私だけだろうか。

 

わき(宝生 閑)は,もう今さら何と言えばいいか(もちろん,いい意味で)。「我此の旧跡に来てみれば」以下の一連の謡も自在な感じ。

 

前しては,最近の塩津さん(だけではなく,他の人でもあることだが)は最初のほうで手が震えることがある。今日もそうだった。ただ,それが気になるかと言われれば,それほど気にはならない。むしろ,気になったのは,これも最初のうちだけだったが,ワキと向き合うときの足の送りがちょっと滑らかではなかったように見えたところ。作り物に隠れていたので,十分に見えていたわけではないから,私の勘違いの可能性も多分にある。

 

それよりも,次第の以下の謡がひじょうにしっとりとして趣深い。 床机にかかって以降は,姿もしっとりと品位が滲み出てくるような感じ。ちょうど私の席はワキ柱のまん前だったので,してがわきにアシラウ(=向き合う)ときに,私もおしてと正対する格好になるのだが,その気品のある姿に,こちらがピッと引き締まる。中入前に作り物の鳥居・小柴垣を隔てて,月を見る態で上から下へと見遣る所作も抑制されているがゆえに,かえって印象的。

 

後段も佳かった。けっこう『野宮』の後段は型処が多いので,ある意味“飽きない”。逆に言えば,それらに目がいってしまって曲趣がどっかに飛んでしまいそうになる危険性もあるようなきがする。しかし,今日の舞台では底流する情念をぐっと抑えめの型のなかに沈潜させているように見受けられた。車争いの段も,「ばつと寄りて/人々轅に」以下のところなど,普通は袖を返して身体の前で両袖を交差させるという型のイメージが強いのだが,今日は袖を返さずにすっすっとそのまま両袖を身体の前で交差させる感じの所作。この抑えめな感じが,かえって鬱々とした情念を滲み出しているように,私には見えた。それゆえに,というべきか,「身は猶牛の小車の廻り廻り来て」と扇を持った左袖を上げて,車を引く態で2回小廻りする所作が,さながら情念の渦に吸い込まれていくような印象であった。そのあとの序ノ舞も,しっとりとしながらもだれた感じがまったくなく,懐旧とカタルシスが入り交じったような趣。破ノ舞へと移る一連,そして破ノ舞,キリとゆったりとしながらも連綿として繋がっているから,弛緩がない。

 

ただただ抑制されているだけだったら,おそらく退屈なだけになってしまうのだろうけれども,根底に恋しさ,慕わしさ,哀しさ,恨めしさ…諸々の錯綜する感情が「六条御息所」という一人のなかに輻輳して,しかもそれが型によって抑制されているために,品のある情念という印象を醸し出したのではないか,そんな気がする。

 

今日の面は「増」で,ご存じの方から伺ったところによれば,肥後八代領主の松井文庫所蔵の品とのこと。前段の途中まで,ちょっとおでこあたりがテカっていたように見えたが,途中から気にならなくなったし,むしろどんどんしっくりと馴染んでいったようにさえ思う。装束は前後とも紅無(ただし,後段の長絹の露紐は朱色)だったが,その分,後の扇の紅がかえって鮮烈で活きたように思う。後段の装束は生成りっぽい白地に菊の花籠やら桐花葉の文様を散らした長絹に紫大口。

 

最近,本三番目物を観たいという願望が強いせいもあるが,今日の『野宮』は溜飲を下げるのに十分な舞台だった。

2011年

8月

21日

さよなら,忠三郎さん。

今朝の新聞訃報で,茂山忠三郎さん(以下,敬称略)の逝去を知った。ここ最近,老齢のためか体調がすぐれなかったようで,しばしば代役も立てられていた。昨年か一昨年か忘れたが,夏の能楽座で小舞「傘」だったと思うが,その舞台を観たときも,足腰の弱りが顕著でちょっと寂しい思いをしたことを憶えている。そういう意味では,昨年の片山慶次郎さん同様,覚悟をしていなかったというわけではない。

 

 

でも,やはり淋しい。あの,おおらかでほっこりしていて,いい意味で鷹揚な舞台ぶりは,千作や故・千之丞,萬や万作,東次郎や故・則直などの個性とはまた違って,強烈な印象だった。しかも,「ゆるい」のとはまったく違う。むしろ,そんな「ゆるさ」はまったくなかった。

 

 

そうそう数を観たわけではないから,記憶に残っているのも僅かなものだが,最初に印象に残っているのは大槻での『盆山』。まぁ,何というかしょーもないあらすじの作品だが,友人の家に盆栽を盗みに入ったところがすぐにばれて,隠れてみたもののバレバレ,友人はからかってやろうと「そこに隠れているのは,犬か」「猿か」と言うので,鳴きまねをするのだが,最後には「鯛か」と言われて「タイ!タイ!!」と訳のわからない鳴き声を出して,結局追い回されるというそのいじられっぷり,追い回されっぷりが何とも愉快。

 

 

その一方で,千之丞・千五郎と共演した『太刀奪』での鷹揚とした雰囲気を醸し出しながらも,ピッと引き締まった舞台振りとか,茂山宗彦と勤めた『舟船』では「舟やーい」と川の向こう岸に掛ける声の暢びの佳さ,そして小手先で笑いを取らないのに何とも愉快で,しかも最後に太郎冠者に「しさりおれ」と言うところの厳しさを内に含んだセリフとか。

 

 

あるいは,どの曲とは憶えていないが,間語リでの朗々として口跡明瞭さ。


千作・千之丞兄弟に隠れて,あまり目立つ人ではなかったけれども,確実に名人の一人だったと思う。難しいだろうな…とは思っていたけれども,今年の忠三郎狂言会での千作との『舟船』は観たかったなぁ。

 

 

こういう雰囲気を醸し出せる人が,この先出てくることがあるんだろうか。


楽しい舞台をありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

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2011年

8月

16日

ご無沙汰しております。

しばらく日記から遠ざかっていました(ゼミブログはいくつか書きましたが)。採点作業やら,私事やらでドタバタしておったものですから。ようやく,そこらあたりも落ち着いて,「思想の夏休み」(by 内田義彦)とでもいうべき時期を迎えることができそうな気配。

 

といっても,9月初頭に経営哲学学会で報告があるので,その準備をしないと。もちろん,今まで,そして最近考えていることの「素描」を報告したいと思っているので,当然ながら“頼まれ仕事”ではありません。

 

とはいえ,私の悪い癖で,あれやこれやと読み散らかしては,よしなしごとに思いを廻らすのが常。最近も,ふと思い起こして占部都美『改訂 企業形態論』『経営形態論』(著作選集版)を斜め読みしたり,山田保『企業成長と企業理論』を粗々読してみたり。また,三品和広教授の新著を往路帰路の車内で読み耽ってみたり(読みやすいけど,けっこうじっくりと読まされてしまう本。来年のゼミの輪読で使ってみてもいいかも)。

 

現在の基本的関心が「そもそも,企業が発展するって,どういうこと?」という厄介な問いで,しかも私の思考特質上,原理的なところから考えていってしまうので,なかなか面倒なことになっているのですが,残された僅かな夏休みを使って,ちょっとでも考えを前に推し進めることができたら,と念じている次第です。

2011年

7月

23日

明日は

近大のオープンキャンパスです。

近大に移籍して3年目,ここでは初めての模擬講義です。前にいた大学でも何度かやっているのですが,やはり緊張します。

 

というか,ふつうの授業でも開始前は若干緊張してるくらいなので…。

 

 

とりあえず,明日は晴れそうなので一安心。おいでになる高校生のみなさん(&保護者の方々)は,どうか熱中症&日射病対策を十分にして,ご来場くださいね。

 

 

近畿大学経営学部の開場はB館の2階です。私のも聴いていただきたいですが,他の3人の先生たちの模擬講義もおもしろいと思いますので,ぜひぜひご来場を!!

 

 

オープンキャンパスの詳しいことについては,↓をご参照ください。

http://kindai.jp/

http://kindai.jp/event/open_campus.html

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2011年

7月

03日

7年ぶり。

昨日(7月2日)、久しぶりに日本経営学会関西部会で報告の機会をいただいた。

 

ここ最近、ちょっと考えていた「企業とは、どのような存在か」をコジオール学派の諸理論を再構成することでアプローチしてみようというテーマ。

 

 

まだまだ掘り下げないといけないところも多々あって、フロアの先生方からいろいろとコメントや質問を頂戴した。コメンテーターを務めてくださった田中照純先生(立命館大学、ご本人は退職した身だから「無職」とおっしゃるが…)からも、いろいろと論点や質問を提示いただいた。

 

やはり、「価値とは何か」という問題がクリアになっていないのが、今回の報告の最大の弱点だと思う。自分自身、考えてはいるものの、まったくクリアになっていない。今回の報告の出発点であるコジオールの場合は、会計(計算制度)を基礎にして議論を展開しているので、

 

価値=数量×価格

 

と、わかりやすい。しかも、収支的価値という観点に立脚するから、明確に実現した貨幣の出入りの額として記述される。

 

 

ただ、問題は、「評価」である。ましてや、コジオール自身が経済財のひとつとして含み入れていた「顧客グループ」や「基幹従業員」との関係や、「企業の名声・評判」といった、現在でいうところの「知的資産」をどのように評価するのかという問題が浮上する。

 

このあたり、会計学の領分なのだろうけれども、経営学にとっても無視できない問題だと思う。時間はかかるだろうけれども、じっくり考えてみたい。

 

 

ただ、そもそも「価値」というのはきわめて主観性をもつものだと思う。そのあたりの点の論理をクリアにしないと…。

 

 

それと、もう一つは「価値創造過程」の実態を、もっとクリアにすること。これも難題だとは思う。でも、ここをちゃんとやらないと、いろんな課題もクリアにならない。それに関する質問もいただいた。正直なところ、しどろもどろなお答えしかできなかったと思う。

 

実際は、企業によって個々に違うだろうから、共通モデルを理論的に描き出せるのかどうかも課題だろうし、そもそも研究自体が細分化・専門化の度合を深めている状況で、果たして共通的なモデルを描き出すことが可能なのかどうかも問題だろう。

 

かといって、放置しておいていいわけではない。難儀だが、追々考えてみたい。

 

 

その他にも、いろいろとありがたいコメントをいただくことができた。できるかぎり、これからの研究に活かしていきたいと考えています。ほんとうにありがとうございます。

2011年

5月

24日

自分への投資

といえば,聞こえはいいが,要はけっこう大量に本を購入しただけのこと。以下,順不同で。

  1. 三戸 公[1971]『ドラッカー ―自由・社会・管理―』未來社。
  2. 依田高典[2011]『次世代インターネットの経済学』岩波新書。
  3. 開 一夫[2011]『赤ちゃんの不思議』岩波新書。
  4. 木田 元[2001]『偶然性と運命』岩波新書。
  5. 菅野 仁[2003]『ジンメル・つながりの哲学』NHKブックス。
  6. 古東哲明[2011]『瞬間を生きる哲学 ―〈今ここ〉に佇む技法―』筑摩選書。
  7. 『日経ビジネス』2冊(タイトル略)

 

眠たかったから衝動買いしたわけではないですよ。

 

このうち3.は,実際に1歳児がいるということもあるにはあるけれども,別の理由もある。先週末の経営学史学会のときに会員控え室で,師匠やその世代の先生たち(→ちょうど私の親と同じ世代か,ちょっと上くらい=初孫ができた頃合い)と話をしていて,「赤ちゃんてすごいよなぁ」という話(その大半は“おじいちゃんのデレデレ話”だったわけだがwww)になり,「人間の学習メカニズムの基礎って,この時期に形成されるんやろなぁ」という話になった。

 

たしかに,同感。で,この著者,NHKの『爆問学問』でも出演しておられたので,ちょっと憶えていた。実際,おもしろかった。そういうこともあって,購入。まだちゃんと読んでないので,追々ゆっくり読んでみたい。

 

 

1.は今回「書物復権」シリーズで再刊された。最近のドラッカーの大流行は今さら言うまでもないが,やはりこの本はドラッカーを読むなら,(主張に賛成するにせよ,反対するにせよ)必ず読むべきだと思う。

 

先ほど触れた経営学史学会で,この著者,御歳今年で91歳ながら自由論題(!!!!!)で報告された。まぁこの世界の人間なら,一度は聴いておくべき(内容もさることながら,語り口を)だと思うが,やはり惹きつけるものはある。すべての著作を読んだわけではないから,批判(⇒もちろん,単にケチをつけるという意味ではない。「批判」の意味については,三戸 公『アメリカ経営思想批判』序文必読)とかにまで至らないけれども,必ずしもすべての主張に同意するわけではない。

 

でも,今回の学会(以前から論文などで指摘していられるが)で述べていられたマルクスの論理における自己組織性認識や,バーナードの主著を4段階(人間論,協働論,組織論,管理 / リーダーシップ論)として捉えているところなど,やはり何がしかの影響は受けている。

 

そして何より吃驚したのは(まぁ当然といえば当然なのだが),91歳にして『もしドラ』を読み,その問題点にも触れているところ。ドラッカーを深く読んできたわけだから,当然なのだろうけれども,それでも「すげぇな」と思わずにはいられなかった。来週公開される映画も見に行かれるんだろうか。

 

それはそうと,この時期にこの本が復刊されたのはありがたい。『もしドラ』はドラッカーへの入り口としてならまだしも,少なくとも経営学部や商学部など経営を学んでいる学生が卒論などで,『もしドラ』だけで書こうとするなら,それは問題だと思う。やはり,1.の本は読まないと。

 

 

4.~6.は哲学系なので,じっくり読みたいところ。意外に一気に読んでしまった(若干,飛ばし読み気味だが)のが,2.。とりあえず読んでみようか程度で買ったのだが,おもしろい。この本を買う直前に電車のなかで考えていたのが,フリーのビジネスというのは存立しうるのかという点だった。私は,これにすごく懐疑的だ。古色蒼然の感ある労働価値説をそのまま信奉することはできないけれども,交換される対象としての製品やサービスには,購入する側の使用価値(期待使用価値と経験使用価値)と同時に,提供する側の使用価値も存在する。この提供する側の使用価値とは,ここではその製品ないしサービスを創出・提供するのにかかった費用(≒原価)をひとまず想定している。そして,この両者の使用価値を背後に含みながら,両者が主観的交換価値を提示する。いわば,「希望価格」のように。もちろん,両者が同時に提示するわけではない。ここでは,ハイエクのいう「発見プロセスとしての競争」を想定する。いずれにしても,製品やサービスの創出・提供には費用が発生している。それを購入する側が評価し,それによって交換,踏み込んで言えば「経済」が成立する。その点,この依田著書ではデジタル経済も従来の経済も,もちろんそれぞれの特質はあるが,基本的な部分は共通しているという認識を示している。

 

ざっと読みレベルなので,ちゃんとした感想は書けないが,ITなりインターネットなり,はたまたSNSなり,こういった領域のビジネスや戦略について論じようとするなら,まずは読むべき書なのではないかと思う。

 

 

また本が増えてしまった。

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2011年

5月

24日

今ひとつよくわからん

Jimdoのマニュアルやらヘルプやら見てたら,「更新情報」を自動的にUpできるやり方が書いてある。けど,実際にやってみたら,説明と違う。てか,「更新情報云々」の選択肢がない。

 

 

どないなってんねやろ。

なかなか使いこなせんなぁ。

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2011年

5月

24日

書籍覚書(2011.05.24)

谷口和彦[2011]『生産と市場の進化経済学』共立出版。

 

うちの大学はきわめてデカイので,学部が違うとほとんどご縁がない。特に,私の場合,現在の経営学部と経済学部が分離する前の商経学部時代にはいなかったので,なおのこと。ただ,前任校で経済政策などを担当しておられた先生から,ちょろっとお名前くらいは聞いたことがあったような気がする。

 

で,何かの折に単著を出されたという情報を入手して,タイトルをみて購入。学期初めの教科書売り場に学生に交じって立ち読みしてみたり。

 

 

序文に曰く,テキスト(学部学生~大学院生 / 一般)として書かれたものということもあってか,ひじょうにすっきりとした体系のように見受けられる(←いわゆる定番的な教科書とは異なるのだろうが)。しかも,文章に歯切れがあって読みやすい。

 

また追って内容について書くことにするが,経営学をやる学生にとっても有益な気がする。

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2011年

5月

19日

書籍覚書(2011.05.19)

貨幣論・価値論関係(1)

正井敬次[1935]『貨幣価値の研究』日本評論社。

  • 高田保馬の門弟。
  • 第1章~第3章は直接的に活用できそう。
  • オーストリア学派や限界効用理論を用いて,貨幣を論じている。
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2011年

5月

17日

そうだ

喜一郎(左右田喜一郎)なんて名前,今では経済学でも出てこないのかもしれない。

 

 

ジンメルの『貨幣の哲学』の解説本を読んでいたら,左右田喜一郎の『貨幣と価値』(もともとはドイツ語"Geld und Wert")がジンメルをかなり参照している旨の記述があった。そのなかで,「愛着価値」(Affektionswert)という概念が出てきていた。作用と対象が一体化して分離しがたい際に用いられている概念である。

 

…純然たる「愛着価値」(Affektionswert)の成立するは,対象の認識せられたる作用を評価するに当り,其の作用と対象とを相互に分離しては表象する能わざる場合に限る。そは対象の個別性に対する絶対的評価であり,これを概念的に考察せば,評価一般の最初の而して又最も単純なる階段である(左右田喜一郎著,川村豊郎訳[1928]196頁;旧字体は私に新字体に改めた)。

 

これって,かなり興味深い。左右田喜一郎がこの書を著したときは,むしろ「愛着価値」は旧態的なものであったのだろう。しかし,今ではむしろ,いかにして「愛着価値」を高めるか,あるいは確立するかが重要になってきているように思われる。脱コモディティ化戦略とは,まさにここにかかわっている。

 

こういったアイディアがたくさんいろんなところに眠っているような気がする。経営学史なり経済学史なり社会学史なり,学史という領域は,こういった鉱脈を探して現代に再生させることではないかと,真剣に思う。

 

ちなみにググってみたところ,経済学でも「愛着価値」に触れる人はほとんどいないようだ。田中秀臣という人(『AKBの経済学』という本を書いておられるらしい)がTwitterで2011年5月5日に触れていたくらい。

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2011年

5月

13日

ジンメルを探す

最近,「価値」ということに関心がある。

 

もともと関心はあったが,ドイツ経営経済学の場合,対象として「価値の流れ」ということがずーっと言われ続けてきた。一般的には企業をめぐる収支の問題あるいは原価と売上の問題が対象となっている。それは間違いではないし,これからも受け継がれていくべき視座だと思う。

 

ただ,「価値」という概念について,突っ込みが不十分なような気もする。そのあたり,ジンメルの『貨幣の哲学』(Simmel, G.[1900])を軸にしながら説明できないだろうかと考えたりもする。

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2011年

5月

13日

とりあえず初投稿

Jimdoのブログの使い方がいまいちよくわかりません。

うまいこといけるんやろか?

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更新情報

  • 講義情報をいくつか更新しました。

講義関連

2015年度後期(木曜日1時限目)開講の特殊講義I(企業発展メカニズム分析)を履修したいと考えている方は,必ず初回に出席してください。

 

なお,恐縮ながら,この科目は経営学科の学生(2回生以上)しか履修登録できません。

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